推しへの手紙納めをした話&マシュマロ返信
前回の記事に掲載できていなかったのですが、ましゅまろいただいてました!
ありがとうございました!!(適宜伏せさせていただいてます><)
観劇いただきありがとうごさいます、と私が言うのもおかしな話だし烏滸がましいことなのですが、あの作品を見てくださった方からのメッセージをいただけて本当にうれしいです。いや~~、ほんっと、いい作品でしたね・・・・・・しみじみしちゃう・・・
オタクって感情の起伏が激しいので(そうだよね?)自分にとって推しがどんな存在なのかを固定的に定義付けることは難しいのですが、少なくとも推しへの手紙や人目に触れるブログの中では、抱いた好意をできるだけ綺麗に切り取って上澄みのところを文字にしているつもりなので、「どろどろした感情抜きに純粋に役者として好き」と見えるのであれば推しのこともとりあえずは不快にさせずに済んでいるかなぁなんて思ったり。
美しく清らかな心だけでは中々オタクはできないけど、それでも好きな人に対する気持ちにそういう綺麗なものが含まれているのはちゃんと本当のことだから、伝わっていたらうれしいです。
そして昨日、クリスマスカードを添えて今年最後のお手紙を投函してきました。
いい区切りなのでカウントを取ってみたら、2月に初めて書いてから10ヶ月の間に28通を送り、計5万字の「好き」を書き綴っていたみたいです。数の問題でも量の問題でもないけれど、この人の魅力を文章にしたい、感謝を伝えたい、という思いが途切れることなく一年間を過ごせたのは、実は結構すごいことなのだろうと思うし、自他ともに認める飽き性の私はなんだか勝手にちょっぴり誇らしくもあります。
相変わらず文章はへたくそで、こんなもの出してもしょうがないじゃないかって不意に投げ出したくなることもあるけれど、それでもきっと手紙を書くことを私は辞められないと思う。し、辞めたくないなぁ。
今年は3通分ほど直接お手紙を渡せる機会があったのですが、名前を覚えてもらって以降に渡したときだけ「いつもお手紙ありがとう」と言ってくださったことがすごくうれしくて。社交辞令でいくらでもなんとでも言える感謝だけど、少なくとも私にとってその言葉は個としての認識をもって初めて直接向けられた言葉だったから、その向き合い方はとても誠実で素敵だと思ったし、幸せだった。
前列にも立ち位置にも滅多に入れない弱いオタクなので、カテコで目線をもらうとかファンサしてもらうとか、そういう所謂“認知”の先にある喜びみたいなものとは今後も無縁だしそもそも推しがそれをやるタイプの役者さんなのかもよく知らないし、それ以前にとっくに私のことなんて忘れてるかもしれないけど!(笑)、自己満足の世界でしかなかった手紙を書くという行為をそうやって掬い上げて肯定してくれる人を応援している限り、私は私なりに受け取ったものを咀嚼して文章にすることを胸を張って続けていきたいです。来年はもう少し文章がうまくなるといいな、なんて願いも抱きつつ、とりあえず事務所宛の年賀状で2019年お手紙ライフの幕開けとしたいと思います。
2018年、推しが推しとして私の心のど真ん中にずっといてくれて本当によかった!
少し早いですが皆様よいお年を~~!!
ましゅまろです~!なんでもお気軽にどうぞ!◎